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<平均>と<異常>の危うさ - 2014.08.25 Mon

先週末、またもや各地で集中豪雨。わたしの家近辺でも、時々、思い出したようにもの凄い雨が降り、肝っ玉の小さいわたしは、ああ、世も末じゃと、その雨音の激しさを耳にする度に震え上がった。

「異常気象」という言葉が連発されているが、しかし。
そもそも異常とはなにか。字句通り解せば、(正)常とは異なっている、ということだ。即ち、雨量で例えれば、この10年なり、50年なりの、8月の降雨量の平均があり、それとは大きく異なった場合に、異常と形容するのだろう。しかし。
そもそも「平均」とはおかしなものではないか。仮に、京都の8月の平均降雨量が100ミリだとして、今年は1000ミリ降ったが、来年から9年、一滴も雨が降らなかったら、この10年の平均降雨量は、100ミリとなり、例年通りでなんらの異常も認められない、ということになってしまうのだ。逆に、毎年毎年、きっちり平均の100ミリづつ雨が降ったとしたら、こっちの方が異常ではないか。

数日前、NHKTVで、タイトルはなんであったか、「面前DV」に関する番組を見る。
面前DVとは、直接DV被害を受けるのではなく、DVの現場を見てしまう、見せられてしまうことで、とりわけ小さなこどもは、そんな体験を繰り返す中で、心に大きな傷を負ってしまう、というのだ。
番組には、その被害者であるふたりのこども(と家族)が紹介されていた。

ひとりは中学生の女の子。日常的に繰り返される母親に対する父親の暴力。女の子は、まったく無抵抗な母親に感化され、学校でいじめにあう。クラスメートからどんな理不尽な要求をされてもそれを受け入れ、そのために要求の理不尽の度合いがどんどん過激になっていって …
これもありがちなことだが、哀しいことに母親の母親もDVにさらされていたらしい。
母親は、娘のいじめを知り、なんとかしなければ、自分が変わらねばと、DVを克服するための教室(?)に通うことになる。綿密なプログラムのもと、講師の助言によって、彼女はいかに自分の生き方が誤ったものであったかを知る。
講師は彼女(たち)にこんなことを問う。「夫に殴られるのは自分が悪いからだ、と思っていないか」「あなたは嫌われることにおびえているのではないか」と。でも、それは間違っている。「もっと自分を大切にしなさい。自尊心を持ちなさい」という。
母親は、自分が教室で学習したことを娘に伝え、娘はけなげにも、「自分が将来結婚をするとしたら見た目や経済力の有無ではなく、、(母の間違いを繰り返すことなく)優しい男のひとを選びたい」なんてことを言う。

もうひとりは高校生と思われる男の子。いまは母と弟の三人で生活している。彼は、殺してやりたいと思うほど今でも父を憎悪しているのだが、これまた哀しいことに、なんと憎んでいるはずの父を模倣するように、母と弟に日常的に暴力を振るっている。おそらく、父親のいない家庭では、自分が一家の柱にならねばという過剰な責任感を抱え、しかし、一家の柱のモデルは父親以外になく、それでそんなことになってしまったのだろう。あるいは、父の暴力から母を守ることが出来なかった自責の念が、憎悪の対象である父の模倣をするという<自傷的行為>を選ばせたとも考えられるが。
ともかく。彼もまたディレクターの勧めに従って、(DV被害者の教室ではなく)DV加害者のカウンセリングを受けることになる。カウンセラーは彼にこんなことを言う。「きみは(相手に)勝とうと思いすぎてるんじゃないか。だから、弟のちょっとした
口答えにも過剰に反応して暴力を振るってしまうのだ。暴力はいけないと思ってるわけだろ。だったら、そうなりかけた時には、勝たなくてもいい、勝たなくてもいいとひとりごとを言いなさい。そうすれば高ぶった気持ちが静まるはずだから」と。

講師・カウンセラーは、被害者には、自尊心を持て、強くなれと言い、加害者には、強くなくていい、即ち、自尊心を捨てろと助言していて、要するに、彼等は被害者・加害者に「平均的であれ、フツーになりなさい」と言っているのだ。
というか、これは彼等の考えというより、番組の作り手の基本姿勢なのかもしれない。言うまでもなく、10人10色で、とりわけDVともなれば、こんな一般論で片付くはずもないのだが。

話が長くなったが、わたしはこんな実例を知っている。身近にいた女の子が、やはり父親が日常的に母親に暴力をふるい、それを逃れるために彼女は高校時からひとり住まい、姉は職場の寮に逃れ、母親は大袈裟でなく日本各地を転々。
しばらくして、父が事故で亡くなる。確か、家の階段から落ちて頭を打ってというようなものだったと記憶しているが、家族がいればすぐに病院に連れていけ、そうすれば亡くなることはなかったと、彼女はひどく傷ついていた。
で、わたしはその父親の葬儀に参列したのだが、そこでひどく驚く。父親は一部上場の会社の社長(後に会長)のお抱え運転手を長く勤めていて、その社長が葬儀の弔辞を読んだのだ。その事実だけでも父がどれほど誠実な勤務ぶりであったかが分かるが、読まれた弔辞もそのことが書かれていて、読んだ当人も、参列した会社の同僚も涙々で、わたしも貰い泣きしてしまった。
社長は、日ごろの鬱憤を車の中で、運転手である父にぶつけていたのだろう。弔辞の中で、社長は彼に支えられていまの自分がある、というようなことも言っていた。多分、社内人事の悩みや今後の会社の方針等々、他人に洩らしてはいけない秘密も多々聞かされ、それを抱え込むストレスは想像して余りある。そのストレスのやり場を家庭・家族、とりわけ妻に求めたのだろう。しかし、これはもちろん憶測に過ぎないが、奥さんにはそれを受け止める容量がなく、それで暴力に及んでしまったのではないか。だから彼の暴力を認めよというのではないし、奥さんを責めるつもりもない。その時わたしが思ったのは、不幸な組み合わせだったんだ、と。

ひとは誰も多面的で、いろんな顔を持っている。時と場所に応じていろんな顔を使いわけているのだ。だから、時には、フツーから大きく逸脱し、あのひとがこんなことを?! なんてことも言ったりやったりする。
それを異常というならば、ひとは誰も程度の差はあれ、<異常>を生きているのだ。
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