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咲いた花は枯らせねえ。そのかわり … - 2014.04.25 Fri

「花札渡世」(1967年公開)を見て、しばし陶然となる。

「わたしの幻の映画ベスト3」というものがあって、それは、ここでも採りあげた「帰って来た狼」、「とめてくれるな、おっ母さん」、そしてこの「花札渡世」。実は、今月これを放映すると知って、この映画を見るために東映チャンネルと契約したのだ。
なぜ幻なのか。もちろん、面白いということが大前提だが、封切り時もそれ以後も、ほとんど批評の対象にならず、名画座等で上映されることもなく、ビデオ・DVD化されてもいないので、見たくても見られない、存在してるのに存在してないみたいな扱いを受けてると、そういう意味である。
それがとうとう …(泣く)。東映チャンネルさん、ありがとう。

40数年ぶりの再会。他の2本には正直少々がっかりし、「まだ俺ぁ、がきだった」(健さんの唄の歌詞)ことを確認させられてしまったが、これは違う。凄い。脳裏のなかに微かにあったものよりも数段凄かった、というか、40数年前はよく分からないまま、なんかスゴーイと思っていただけではなかったろうか。

設定された場所は東京の下町。時は満州事変がどうこうという台詞があったから、1930~35年頃か。
シークエンス(ひとつの話のまとまり)の変わり目に、花札のアップがある。花札には花と動物がかいてあり(そうでないのもある)、それぞれが月を指し示している。つまり、正月になる前に松に鶴の花札が、秋になると鹿に紅葉の札がという具合に。ベタといえばベタだが、ちょっとハイカラな、フランス映画みたいな台詞が時々あったりして、そのミスマッチ感が危うさにつながり、もちろん、その危うさがスリルにつながるのだ。

梅宮辰夫演じる主人公は、やくざだが、暴力系ではなく、タイトル通り、賭場で花札勝負をするのを生きがいとしている、正統派のやくざだ。
彼をとりまく女性たち。ひとりは、わらじを脱いでる一家の親分の娘。ひとりは、亭主(実は父親)と一緒に、賭場から賭場を流れ歩いて、いかさまをやっている女。もうひとりは、梅宮は、親分の愛人の家作に住んでいるのだが、同じその家作の一部屋を借りて住んでいる、大阪から家出してきたバーの女給。

親分の娘は、戸籍上では親子だが、実は親分と血のつながりはなく、ふたりは性的な関係をもっている。しかし、梅宮のことを好きになり、梅宮をわがものにするためには手段を選ばない。バーの女給を梅宮の恋人だと誤解し、なんとかふたりを切り離そうと、子分達に彼女をレイプさせ、さらには、神戸の女郎屋に売り飛ばさせる。

血のつながらない父娘が一方にあり、その一方には、夫婦と偽る実の父娘。更には。多くのやくざもんと同様、梅宮も家族・故郷喪失者で、だからこそ、やくざという疑似家族組織に身を置いているわけだが、賭場で知り合った老いかさま師となぜか気があい、互いに父・子のような親近感を持つようになる、と。これは家族とか血とはなにかを巡るお話なのだ。

老いかさま師の名は、「素めくらの石」。素めくらというのは、いかさまの手段のひとつと思われる。演ずるはバンジュンこと伴淳三郎。彼は梅宮に、なぜいかさまなんかするんだと問われると、博打は運否天賦で、結果はお釈迦様にも分からないが、しかし、そのお釈迦様でも分からない結果を自分で思うように出来ることが楽しいといい、そして、いかさまのための細工を考え、作っているときはもっと楽しい、などと答える。
バンジュンの素晴らしさは、確か以前にも、森崎東の「黒木太郎の愛と冒険」を取り上げたときにも書いたかと思いますが。

映画全編、一部の隙も無駄もないのですが、バンジュンの演技が特にそうで、よくプロ野球中継の解説者が、田中マーくんは速球もスライダー等の変化球も同じ腕の振りで投げるから打ちにくいんだ、みたいなことを言うけど、バンジュンもそんな感じで。喜怒哀楽がほとんど同じ感じで出てくる、だけど、それこそ、打者の手元でボールが微妙に変化するように、台詞の最後の音の微妙な変化、あるいは、ちょっとしたなにげない仕種で、喜怒哀楽を表現してしまう。

親分を演じるのは遠藤辰雄(後に多津朗に改名)で、その弟分が安部徹。ともに悪役専門の俳優さんで(例外もある)、
当然のようにここでも悪役を演じているのだが、ふたりの掛け合いがまことに息があっていて、悪党ながら憎めない。と思わせつつ、ここぞという時には、一転、それでも人間かと思わせるような悪党に、それも一瞬にして変わるので、驚く。とりわけ、通称エンタツさん。こんなに出番が多くしどころも多い役は、この映画のほかにはないのではないか。

素めくらの石は、エンタツ氏の賭場でもいかさまをやり、エンタツ氏はそれに気づくが、あの腕は使えるということで、一家の客分に迎えることにする。と、一緒についてきた女房(実は娘)にひとめ惚れ。ふたりきりになったところで、俺の女房にならないかと彼女をかきくどく。このシーンのエンタツ氏が凄い。やあやあまあまとにこやかな調子から、自分は秀吉を尊敬している、今度町会議員の選挙に出るのも秀吉のように …、と演説口調の熱弁をふるい始めたと思ったら、女に接近して猫なで声で甘いことばを囁き、女がうんと言わないと見るや、おまえくらいどうにでも出来るんだぞ、とドスのきいた声で女を脅しにかかるのだ。

この石の娘を演じるのが鰐淵晴子。ああ、鰐淵さん。若い人はご存じないと思うけれど、戦後すぐ、美少女天才バイオリニストとしてその名をはせたひと。お父さん著名なバイオリニストで(多分)、お母さんはドイツ人だかオーストリア人。ハーフの絶世の美人と言うことで、後に俳優に。
一度、わたしの芝居にも出演してもらって、いわゆる天然というのでしょうか、おおらかで、楽しいひと。旅公演で鳥取に行き、鳥取に来たら砂丘でしょう、というわけでみんなで砂丘に行き、花火なんかしたわけですが、そのときの鰐淵さんの子供みたいなはしゃぎよう、今でも忘れられない。

忘れられない、と言えば。例によって例の如く、この映画も大半は忘れていたのですが、覚えていたシーンがふたつあり、ひとつは、カチカチカチカチ(正確ではない)という奇妙な音がオフから聞こえ、そしてシーンが変わると、その音は、賭場の客たちが手札を鳴らしてる音だった、というシーンというかその音と、もうひとつが鰐淵さんのシーンで。
エンタツ氏のことばに従って客分になったいかさま親子は、梅宮と同じ家作に住むことになるのですが、外は雪が降っていて、こっちの部屋にいる梅宮がふっと正面に目をやると、窓越しに、向こうの部屋の窓から上半身をのぞかせている鰐淵さんが見える、と。この時の、大袈裟でなく、筆舌に尽くしがたい鰐淵さんの色っぽさ。これはハッキリ覚えていたのでした。
ああ! でも、この映画のこと、すっかり忘れていて、鰐淵さんに話せなかったんだ。口惜しい!

話を戻そう。で、結局、花札で決めよう、つまり、俺が勝ったらお前は俺のものになるんだ、という話になる。
エンタツ氏の代理人が梅宮、女の代わりに勝負をするのはバンジュン。

映画の冒頭でバンジュンはふたつのいかさまをやる。ひとつは手元に置いた財布の金属部分に、配る花札をこっそり映すというもので、もうひとつは、客のふりをした鰐淵さんが、これは手ごわいと見た梅宮の背後に座り、梅宮の手札を盗み見て、対面に座るバンジュンに合図を送るというもの。手札はなんだったか、とにかく鰐淵さん、舌をそっと出して唇を舐める、その合図がまた色っぽいこと!

で、女を賭けた勝負でも、形勢不利と見るや、バンジュン、再び仕掛ける。寿司の器に入ったしょうゆに札を映して、梅宮の手札を盗み見、そして最後に逆転して勝ってしまう。
このシーンもいい。立ち会ってたエンタツ氏、負けたかとぼそっと言って席を立ち、梅宮の背後まで来ると軽く梅宮に蹴りを入れ、こっちは激怒すると思っていたから、その軽さを逆に怖い、本物!と思ったのだが、やはりそれだけでは終わらず、振り向きざま、梅宮の背中に強烈なのをもう一発お見舞いしていなくなる。
と、バンジュン、先に記したいかさまのネタをばらし、それを知った梅宮とふたり、大笑いをする。

次の日。近所の川べりにバンジュンの死体。もちろん、やった(やらせた?)のはエンタツ氏。
警察の死体安置所で、梅宮は鰐淵に逃げろといい、そして親分のところへ行って、旅に出させてほしいと願い出る。
ちょうどそこにいた親分の娘、じゃわたしも。ふたりで駆け落ちでもしようかしら、なんて軽口を叩くと、エンタツ氏、「そいつは無理だ。こいつは梅子(鰐淵さん)と駆け落ちするつもりなんだから」と言う。顔色を変え、口惜しさをあらわにする娘。エンタツ、出かけるから下駄を出せ、というが娘は動かない。いいんですねえ、ここらあたりも。もうひとり、安部徹も同席していて、この男はこの娘と結婚したいと思ってるから、安部にとって梅宮は娘を間に挟んだ恋敵で、エンタツ氏にとっても梅子を挟んだ梅宮は恋敵。
で、エンタツ氏、玄関まで見送りに来た梅宮に、組の今後のことを考えるとお前を手放すわけにはいかねんだよと、笑顔で話してると思ったら、振り向きざま、手に持っていた、杖かと思ったそれが仕込み杖、それで梅宮に斬りかかる。もの凄く驚くが、その次のカット、突き刺すように構えるエンタツ氏の顔の怖いのなんの。それからの立ち回りが凄い。当然、安部徹も加担し、二人がかりで梅宮を攻め立てるが、この時、異口同音に「この野郎、色男をかさにきやがって!」と言って切りかかるのだ。笑わせる。男の嫉妬、自らの容貌に関するコンプレックス? あれやこれやが重なって、ふたりのブ男の攻撃の激しさたるや! 
しかし。ここらへん、ものすごくプロットが練られていて、結局、エンタツ氏は殺されるんだけど、安部はそれをやり過ごす。つまり、エンタツ氏が殺されれば、組も娘もわがものに、という計算をしてる、と。

梅宮は、梅子が待っているホテルへ。このシーンもいい。梅宮はこれから警察に行くが、刑期を終えるまで待っててくれといい、そしてふたりはベッドインということになる。でも、梅子はこれが初めてで、自分はずっと堅気になりたい、普通のお嫁さんになって、初めてする相手は堅気の男と決めていた、という。
と、近所の飲み屋から、「赤い火、青い火、道頓堀に ~」というタイトル失念の唄が流れてくると、梅宮は、神戸に売り飛ばされた大阪の女を思い出し、「あいつにも悪いことをした …」と呟く。

それから5年。刑期をつとめあげ、シャバに出てきた梅宮は、ふたりの約束の場所に来るが、彼女はいない。約束の日はとうに過ぎていたのだ。俺をたずねて女は来なかったか、みたいな話を茶店のおばあさんに聞いていると、彼からは見えない壁の後ろにひとりの男。こいつは刑事で、こいつも梅子に惚れていてずっと彼女をつけ狙っている。演じるは西村晃。晩年は黄門様なんかやりましたが、こういう蛇みたいな嫌な男をやらせたら天下一品。
と、雨が降ってきて、向こうから傘をさした女が。縦一に、刑事、梅宮、傘の女と並ぶ構図が素晴らしい。
梅宮は梅子が来たと思うが、おばあさんは、「違うよ、あれは立派な大店の奥さんで、近くに父親の墓があるらしく、毎月、月命日には来てるんですよ」と言う。
茶店に入り、傘を畳むと、やっぱり梅子だった。梅宮が声をかけると、彼女はひと違いじゃないか、と言う。
「梅子だろ」「違います。わたしは井上咲子、梅子なんて名前じゃありません」「そうか、梅が咲いて咲子になったか」「梅は咲いても、桜はまだでございますね」「とんだからくりだ」

なあんて小洒落たやりとりの挙句、彼女がいまも自分をつけ狙っている刑事がいて、彼に自分の素性をいまの家族にばらされると …と言うと、梅宮は、俺に任せろといい、そして、

「一度咲いた花は枯らさねえ、そのかわり、そのためにてめえの命を賭けた男がいたことを、…忘れないでくんねえ」
なんて言って、男は立ち去ると。ああ、胸に染み入りますです。

ラストまであと少し、まだまだ書きたいことは山ほどありますが、長いし疲れたし、これで筆をおくことにします。

しかし、分からん、こんな映画がなにゆえにこれまでずっと無視され続けられているのか。
海外の映画祭なんかで、「日本のフィルムノワール」なんて特集やって、その中の一本にこれを入れたら、西洋人はみんな驚いて拍手喝采するのではないか、と思うけれど ……

脚本・監督の成沢昌茂は、監督として何本か撮っていますが、溝口健二の晩年の作品のメイン・シナリオライターとして著名なひと。もしかしたら、それが映画監督としての力量を見くびらせているのかも?



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