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ベティーに恋して - 2011.09.06 Tue

セフトンは第十七捕虜収容所の中で、あきらかに異質な男だった。

ビリー・ワイルダーの「第十七捕虜収容所」を観た。捕虜収容所というから、ひどくグロテスクで悲惨なものを想像していたのだが、拍子抜けした。とてもいい意味で。
第二次世界大戦末期のドイツ、ナチスが取り仕切る収容所。捕虜のアメリカ兵がいっぱい、というよりは、「男たちがいっぱい」だ。

セフトンは収容所の中で荒稼ぎをしていた。何かにつけて皆に賭けを持ちかける。商売もする。お金の代わりに煙草を使って。
彼は捕虜でありながら、他の捕虜たちとは一線を画していた。何しろ、いつも傍らに子分みたいな小男までくっついている。名前はクッキー。いつもセフトンの手伝いをしている。
バーを開き、煙草2本で酒も飲ませた。セフトンが調合して作っている。といっても、「ガソリンよりはいい」という酒。それでも、捕虜たちは皆、セフトンの酒を求めてやってくる。

彼は稼いだ煙草と引き換えに、ナチスの軍人から「いいもの」を貰う。
セフトンのベッドの下には、鍵のかかった、ずっしりと重そうなトランクがあって、ワインボトルや煙草なんかがたんまり貯め込んである。
皆が汚い桶からよそったスープを飲む傍ら、セフトンは小さなフライパンでひとり目玉焼きを焼いて食べていた。実にうまいことひっくり返す。宿舎にただよういい匂い。みんな、目玉焼きをうらやましそうに眺めた。
他にもセフトンは、ネズミを使った競馬ならぬ競鼠(?)を企画し、賭けに負けた捕虜たちの煙草は全部彼のもの。ネズミたちにはご丁寧にちゃんと名前までついている。
大の大人の男たちが、ちょろちょろかけまわるネズミを黒山のひとだかりになって囲み、野次を飛ばしたり、歓喜の声をあげたりする。
彼らはとても楽しそうだ。

ここはホントに捕虜収容所なのか。

みんなとても元気だ。よく喋り、よく笑っている。「怒ること」まで楽しんでいるみたいだ。
シュルツ軍曹という恰幅のいい男が、いつも見回りにやってくる。これもよく笑う男だ。ずかずかと入ってきて、朝の点呼をするため、皆を起こす。
捕虜たちはシュルツにかなり偉そうなことを平気で言う。シュルツも負けじと怒鳴り返す。罵声を浴びせ合う捕虜と、ナチスの軍曹。
捕虜である彼らに罵声を浴びせられても、シュルツは特に罰則を与えない。蹴りも殴りもしない。捕虜たちは言いたい放題。最後は肩を叩き合って笑うといった具合だ。
彼らの視線は常に同じで、対等に見えた。音声がないと、まるで無二の親友のようだ。
しかしシュルツは間違いなくナチスの軍曹であり、彼らを収容所に閉じ込めている。なのに彼らは冗談を言い合い、肩をゆすって笑っている。
シュルツの言っていることは確実に捕虜たちを批判しているのだが、身体はそれを許している。そんなふうに見えた。とても和やかな朝だった。

第十七捕虜収容所の敷地内には、いくつかの宿舎がある。粗末な木造のプレハブ小屋みたいな感じだ。

ある夜、脱走兵がふたり、射殺される。セフトンと同じ宿舎の捕虜だった。
この事件をきっかけに、宿舎内にナチスのスパイがいるのではないか、と不穏な空気。
トランクいっぱいに「いいもの」を詰め込んで、どこか諦めたような姿勢のセフトンは、当然のごとく疑われた。
徐々に宿舎内の平穏が微妙にくずれ始める。しかし捕虜収容所で「平穏」というのも変な話。
敢えて「平穏」にしていなければ、自分を保てなかったのかもしれない。
それに関しては、セフトンも他の捕虜も、皆一緒だったような気がする。
時にバカバカしいくらいの平穏さ。
だからこそ、本当の平穏でないことに気づく。

集団の中で、対立し、孤立し、真相が暴かれ・・・この展開にも、どきどきする。

セフトンのいる宿舎にはユニークな男たちがいっぱいいる。アニマルとハリーという二人組は、まるで漫才コンビみたいだ。アニマルは映画女優に熱を上げている。ハリーはアニマルのために女装までした。無茶なのに笑える。

みんな歌をたくさん歌う。バレーボールをしながら歌う、行進しながら歌う。高らかに、大合唱する。
戦友を励ますように、というよりは、自分自身を励ましているように見えた。
音楽は、心が荒まないための最後の頼みの綱であるかのよう。
生きるために歌っているのか、歌うために生きているのか。
どっちだかわからなくても、結果として彼らは生きていて、歌うことをやめそうにない。
大人の男たちが、狭い部屋の中を列になって行進しながら、勇ましい歌を高らかに歌い続ける。
捕虜収容所、静かなクリスマスの夜。小さなツリーを囲む男たち。
足を踏み鳴らして、みんなが歌った。
むさくるしいのに、どこかせつなかった。

でも、セフトンは歌わなかった。少し離れたところにぽつんと座って、みんなをじっと見ていた。

楽しそうに見える彼らの姿は、おかしくて、笑えて、でも歌が終わった後、静寂が必ずやって来ることを思うと、いま「歌っている」この時間は何なんだろうとさえ思う。
それでも歌う。なぜだろう。
それらしい答えは出ていても、何なんだろう、と思う。お芝居だって一緒かもしれない。

巷によくある、「戦争の悲惨さを伝えたい」と、ひたすら腕が飛び血しぶきがあがり女子供が泣き叫ぶ映画より、私はこの、男たちのエネルギーが、歌に、笑い声に変わっていく、変えざるを得なかったこのさまに、しんみりしてしまった。
お祭りみたいな賑やかさが、一瞬にして沈黙する。
お祭り騒ぎが途切れると、沈黙はひどく目立つ。
そんな中にふっと聞こえる口笛は、もっと目立つ。

セフトンは歌わなかった。
ああいうとき、歌えない人もいるんだろうな、と思った。
歌ってばかりの人間は、そういう人間もいるのだということを知らなくちゃいけないとも思った。




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