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志の輔の落語 - 2011.03.08 Tue

Wowowで志の輔の落語を聴く(見る?)
新作の2本にも笑ったが、最後にやった「中村仲蔵」にちょっと泣いてしまった。

とりたてて落語が好きなわけではないし、落語そのものを面白いとも思わない。ただ、面白い落語家、好きな落語家は何人かいて、とりわけ、東京に来たころは、よく寄席などに通っていた。
志ん朝は、好きとか面白いとかという範疇にはなく、別格だったから、彼の訃報に接したときは、親しい知人が亡くなったときみたいに、いやそれ以上に、ひどく落胆した。
同じく談志も「その範疇」外の落語家だが、志ん朝とは意味が違う。いまや伝説となっている、その昔ラジオで円鏡とやっていた掛け合いのぶっ飛び具合、下らなさといったら、空前絶後のものだ。この間、これもWowowでやっていた「落語ちゃんちゃかちゃん」にこのひとの真骨頂を見た。名作古典落語の一部を、ほとんど脈絡なく並べてみせて、なんとなくひとつの噺にしてるようなのだ。ようだ、というのは、TVではその一部しか見られなかったからです。

前置きが長くなってしまった。そう、志の輔の「中村仲蔵」だ。
その内容をひとことで言えば、江戸時代の名優、中村仲蔵が、いかにして名優になったかというもの。ま、こんな風にまとめてしまうと実も蓋もないのだが。

志の輔は談志の弟子だが、他の弟子たちが一様に師匠の変に高飛車なところだけを真似てるような、若いのに名人気取り風なのに比べ、志の輔はそんな気取り、気負いがまったくない。まずそこがいい。こんな話をわたし知ってますけど、聞いてくれます? みたいなのが。
描写が実に丁寧。小林信彦が絶賛している志ん朝の「中村仲蔵」を聴いたことはないけれど、これまで誰もやらなかった「忠臣蔵」の定九郎像がどうにもつかめず、失意の仲蔵が、雨宿りに入ったそばやで出会った浪人の風体に、「これだ!」と閃くシーンが素晴らしい。唸るほどじゃないけど、よく分かるのだ。
先に記したように、名人芸を見ろ、聴け、という感じじゃない、あくまで、こんな噺なんですけど、という提案(!)の仕方が今日的だと思ったのだ。

泣いたのは多分誰でも泣くところで。これが定九郎だ、とばかり意気込んで演じた初日の舞台に、観客からも同僚からもさしたる反応がなく、こりょもう駄目だ、役者をやめねばと、女房に別れを告げて江戸から去るべく表に出ると、今日の芝居を見た人々が、仲蔵の定九郎がいかに凄かったかを話しているくだり。凄すぎて、声をかけることも、拍手をすることも出来なかったって、こういうことなんです。

ま、噺自体もよく出来てるんですけど。ここは志の輔エライ! ということで。




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