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2011-01

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外側だけを気にしていいのか? - 2011.01.29 Sat

 先日、竹内先生と居酒屋で呑んでいた席で、

『うしだは、外側を気にしている。』
と指摘を受けた。

 的確な指摘だと思った。僕は毎日の選択でも、自分に素直に判断していない。第三者の評価が優先される。


 第三者の評価にこだわる理由は大学四年間の生活が大きく影響している。


 大学で受講した『世界映画史』や『CM論』、DRYBONESでチラシ作りを担当した事は、広告、宣伝の危うさを知る機会になった。商品が売れるか売れないかは商品の質よりも宣伝、広告の質に左右される。

 だから、何か欲しい品物があっても、直ぐには買わない。例えば、レトルトカレー売場に行っても、インターネットのレヴューサイトを見て高い評価を受けているレトルトカレーを買う。映画を見るときも必ず『ぴあ映画生活』というレヴューサイトを見てから見に行く。何かで迷ったらYAHOO知恵袋を参考にする。

 この事は、日々の人間関係でも進路の選択でもそうなのかもしれない。

 日々の生活で表向きには仲良く喋っている人間が、影では悪口の言い合いをしている。
 
 物も、人も、進路も、表面的な情報はなんとも信用できない。

 さらに僕は、人から騙されやすそうだと良く言われる。実際、何度か騙された事も有る。
 だから、自分が好きなもの欲しいものにパッと飛びつくことなんてとても出来ない。


 逆に、自分が役者として見られる立場になると観客の目を気にしてしまう。良く思われたい。かっこよく見られたい。自分の本心を見られてなるものか…。

 演技をするときに、観客と自分の間に自らバリアを張ることは役者として致命的だ。そうは思っていてもついつい張ってしまう。


 宣伝も広告も素直になったらいいのに。
『このカレーはマズイですよ!』
『きっとこの映画を観たら寝ちゃうかも!』

 かっこよく、可愛く見られたいなんて人はいない。外見なんてどうでもいい社会。オシャレなんてしない。服は皆ジャージ姿で、嫌いな人には面と向かって嫌いと言える社会。皆、そのまんまで生きてる社会。
 そんな社会になったら僕も素直に生きられるし、素直な芝居が出来るのに!
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岩松さんの新作 - 2011.01.26 Wed

タイトルがいい。「国民傘」。なんのことやら?だけど、なにやら不穏な空気感が漂ってる。そこがいい。

三つの話が提示され、それらがときに重なりながら、物語は進行する。
ひとつひとつの話には、多くの岩松作品がそうであるように、それぞれ肝心なところ(?)が伏せられているから、とてもメンド臭い。ジリジリする前半。が、休憩を挟んで後半に入ると一転、もつれた糸が解きほぐされることはないのだが、からまった毛糸が球になって転がりだすよう、とでも言えばいいのか、場面転換が加速され、その訳の分からなさが「官能の世界」に誘う。
岩松さんの芝居は、普通の芝居や映画を見るときとは違う脳の部分を直撃するようだ。
ラスト近く、ある有名な映画のワンシーンが引用されている。そのあまりの強引さと大胆さに笑う。

「成熟がなんだ」とは、わたしの好きな谷川雁の詩の一節だが、岩松さんの最近の芝居を見るたび、この言葉を思い出す。どこか<佳品>の趣のあった竹中直人の会の作品よりも、「劇の重さ」を感じさせるいまの方が、わたしはずっと好き。刺激を受ける。

これを見たのが先週の土曜で、その前日に、専攻の2年生の発表会を見た。演目は、「カガクスルココロ」(作・平田オリザ)。学生たちは思いのほかよくやってる、と思ったけれど、途中で見続けるのがメンドーになった。
なぜ? 台本が死ぬほど退屈。ドーーーでもいい話。作家はそれが狙いだと言いたげで、それがまた腹立たしい。
なめてるんだろうな、このオリザなるひとは。なにを? 演劇も社会も人間も歴史も、なにもかも。

岩松さんに多大な影響を受けたって言ってるんだけど、ハア? 通俗的なたとえで気恥ずかしいが、おたく草食系でしょ。岩松さんは、一日三食365日、ずっと肉食ってて、それでもまだ足りないと言ってるようなひとですよ。多分、岩松さんの芝居も本も、ほとんど見たこともなければ読んだこともないのだろう、まともに。


久しぶりに競馬で大勝! デヴュー戦から狙い続けて3戦目。やっと仕留めたバシリコス。日曜の中山の未勝利戦

で16頭立ての後ろから数えて2、3番目というまったくの人気薄。まるでゴルゴ13にでもなったような。これからはわたしのこと、スナイパー・竹内、もしくは、デューク・竹内と呼んで下さい。

おきざりのからだ - 2011.01.26 Wed

口先から生まれたと言われるほどよく喋り、それ以外はボーッとしており、自分ひとりの世界に没頭すると本当に周りが見えなくなり、ヘタすると声も聞こえなくなる子供だった私。

いや、今もそうか。

でも、「普段の私」と「芝居をする時の私」は、当たり前だけれど別のもので、それは自分の身体に無意識であるか、意識的であるかの違い。
先日、稽古場で竹内さんが仰っていた「自動化と異化」のお話。
自動化=無意識で、異化=意識化ということなのですが、脳には見聞きしたことを貯蓄するスペースがいくらでもあるはずなのに、皆、それをどんどん忘れていってしまう。
要は、必要最低限のエネルギーさえあれば、わざわざ貯めておく必要がないから、どんどん捨てていってるのだ、というお話でした。

見えてるのに、見えてないことにしてしまっている。
聞こえているのに、聞こえていないことにしてしまっている。

これは全部、意識的にではなく、脳が勝手にそうしてしまっているのだそうです。


でも!お芝居をするのに、これではいけない、と、佐藤愛子は自分の愚かしい芝居を振り返って思った。

私の身体は、今、あなたの台詞や動きによってこう感じて、こう動いた、ということを、ひとつ、ひとつ、明示していく。
私が大学に入学した頃から、竹内さんが口を酸っぱくして仰っていた、「身体の状態を意識する」ということ、「身体が先行する」、ということ。
まず身体があって、言葉がある。
極端な話、台詞は、その台詞を言う身体をちゃんと作っていれば、一番いい音で出てくるはずだ、と、本当に竹内さんには何千回言わせてしまったことか。
アイコサトウは自分が恥ずかしいです。ああ。穴を掘りたいです。入るためです。

頭でわかっていても、記憶に残っていても、身体が動かない。
おきざりにしてしまう。
身体って難しい。

でもDRY BONESの芝居に泥を塗るわけにはいきません。

お客さんに、「こんなことやってるんだ!」と驚いてもらったり、「あれって何だったんだろう」という余韻を、劇場を出た後にも残してもらえるレベルに、必ず到達しなければなりません。





求む!良い宣伝方法 - 2011.01.26 Wed


DRYBONESでは、週に1・2回会議をします。


主に制作のこと。
最近の議題は、宣伝活動の方法やターゲット、チラシを作る時期、挟み込みの場所などです。



次の公演は無料公演なので、より多くの方にDRYBONESを知ってもらう機会になれば良いと思っています。

そのためにはどうすればいいんでしょうね?

むむむ…


誰か知ってたら教えて下さ~い(ノ≧◇≦)ノ




ではまた。

有言実行 - 2011.01.25 Tue

今年は禁煙しようと思っているわけです。

コイツいつもこんな事言ってるなと思っていますね?

今度こそホントです。有言実行で頑張ります。

でも、昨日電話で友達に、あ~タバコ吸いたいって言ったんですよね。有言実行と言うのは言ったことやるんですよね。

はぁ!タバコ吸わなきゃ!

え?知ってますよ!屁理屈ですよ!

へぇ~。


ガク然!

グラッツェ - 2011.01.25 Tue

お久しぶりです。 河田です。


只今朝の6時48分。バイト終わりです。

今日、?な客が来た。60~70歳ぐらいのおじいさん。

その人は杖をついてガストに入ってきた。喫煙席に座る。
客 「飲み物はあるか?」と。
ボク「ドリンクバーつまり、飲み放題となっております。」
客 「そんな事は聞いてない。」
ボク(何ぃぃ!?)
客 「あそこの交番のおまわりさんにもコーヒーを持って行ってくれ。」
ボク「え?」
客 「我々一般人は日ごろの感謝を込める必要がある。お兄さん。あんたもそう思うだろ?」
ボク「申し訳ありません。こちらはドリンクバーとなっておりまして、店内でしたら何杯でも飲んでいただいても結構なのですが、店外に持ち出す事はできません。それにボクは一人営業ですので、ボクが店を離れる事はできません。」
客 「そんな事は聞いていない。」
ボク(バカな!?)
客 「あんたも誠意を見せろ」
ボク「しかしですね………」


こんなやりとりが10分ほど続いた。他の客はこちらをじろじろ見ていた。

そしてそのじいさんは「それならワシが持っていく」と。(交番までは徒歩1分)
ボク(杖ついてるのに大丈夫かよ?)
客 「荷物はここに置いていく。逃げたりはせん。←(「せん」とは、関西弁で「しない」という意)ワシは逃げも隠れもせん!」
ボク「はぁ………」

そのじじいは結局2人分のドリンクバー料金を払って、コーヒーをお盆に乗せて出ていった。
そして10分後ぐらいに戻ってきた。

客 「他人に勝手に飲み物はもらえないとか言って、おまわりさんには受け取ってもらえんかった。」

当たり前でしょ。イキナリ正体不明の杖をついたじいさんが「コーヒーを届けに来たぞい」とか言いだしても、警察が受け取ってくれるワケ無い。怪しすぎるもの。

で、その人はドリンクバーなのに1杯しか飲まず、その後レモンチューハイを追加注文して、自転車で来たというのにタクシーに乗って帰っていった。。。

いったい何なんだ!!??
自転車はどうするつもりだ!!!
ボクの貴重なバイト時間を返せ!!!!!
いったい何なんだーーーーーー!!!!!!!←(ナチュラルハイ)



はい。おやすみなさい。

ナチュラルとシンプル - 2011.01.25 Tue

ナチュラルとシンプルは言葉の雰囲気は似ていますが、全く別のものだと思います。

芝居を見ていると、あたかも毎日そこにいて生活してるかのような、ナチュラルな物言いだったり振る舞いをしようとしている役者が沢山います。しかし台本の台詞を覚えて言っている時点で日常ではないのだから、ナチュラルになりえるハズが無いのです。

逆にシンプルな物言い(この言葉、竹内さんがよく言うのです)のほうが日常的に使っている気がします。例えば悲しい時に気丈に振る舞うとか。
悲し~い、気まず~い、しんど~いと感情を言葉にするときはそこまで悲しい、気まずい、しんどいと思ってないです。

でも芝居となると、つい"いつも喋ってる風"になってしまいがち。言葉で感情を説明してしまいがち。


ん~難しいです。

ナチュラルよりもシンプルに!





ではまた。

春素(桂) - 2011.01.24 Mon


春素という元素があるという。
その元素は
「どう考えても良心的な元素であり、触れると、唇がパンパンに腫れてしまう。」
と、広辞苑に載っていた。


以上、今日みた夢の話です。
つまりウソです。


唇腫れるとか、どう考えても良心的じゃねーし!
その前に、良心的な元素って何??


ひとは哀しいから泣くのではなくて - 2011.01.19 Wed

わたしの競馬歴は、かれこれ40年にならんとしている。自慢にもならないキャリアだが、おかげで(?)、いまや自称日本一のパドック名人となった。要するに、その日の馬の調子・状態がよ~く分かるようになったのだ。

しかし、競馬は難しい。状態は120%の出来だけど能力の低い馬と、70%の出来だけど能力の高い馬との比較がとても難しいからだ。また、能力が低いと思われ人気のまったくない馬が、わたしが睨んだ通り大健闘しても、4着だったら馬券の対象にならないし、そんな馬が低人気をあざ笑うように1着になっても、能力も高く調子もよいと見たテッパンの馬が、レース中のちょっとしたアクシデントで凡走したりすれば、これまた馬券は紙くずになってしまう。いったいこれまで、こんな哀しく悔しい痛い目に、何度あったことか。ク、ク、ク。

でもでも。競馬はこんなことの連続だからやめられないのだ。そう。当たるからやるのではなく、当たらないからやるのだ。当たらないということを前提にするから、身の程知らずの大金は賭けないし、だから、長く長く続けられる。博打で身を滅ぼすひとは、要するにビョウキのひとだと思います。

というのは前置きで。
演技・お芝居の話ですが。最近はとんとその名前を聞かないのですが、ドイツの映画監督で、ヴィム・ベンダースというひとがいます。何本か傑作も作っていて、中でもわたしが好きなのは、「都会のアリス」というロードムービーと「東京画」という小津安二郎にオマージュを捧げたドキュメンタリーですが、それはともかく。
彼の演技論はとても明解で、それは「エモーション(感情)がモーション(行為・行動)を促すのではなく、モーションがエモーションを呼び込む」というものです。

多くのひとは、もちろんプロと自称するひとも含め、みんなこの逆だと思ってる。哀しいという感情が泣くという行為を生むのだ、と。
違う違う。ひとは哀しいから泣くのではなくて、泣くと哀しくなるのです。
TVの「ほんまでっか?!」でも、池田清彦が同じことをいってました。アタマにきたから相手を殴ったのではなく、手が先に出て、そのあとに理由づけとして「アタマに来た」が来るのだ、と。

池田氏の弁を借りるまでもなく、こんなことはずいぶん前から「科学の常識」になっているのに、いまだに「どうやったら気持ち・感情を作れるか」とか「役の気持ちになって」とか愚かとしかいいようのないことを口走るノー天気があとを絶たない。

一度も読んだことはないけれど、「ガラスの仮面」なんて結局、延々そんな話をしてるわけでしょ、きっと。そしてまた、そのお芝居版の演出をあの高名な蜷川某氏が引き受けてるわけでしょ。いやはや、愚劣の極みとはこのことですな。

ところで「ほんまでっか?!」って、誰が考えたんでしょう。司会のさんまも凄いけど、あんなコメンテーター(?)たちを揃えてみせたプロデューサー、あんたが一番!!




伝える(桂) - 2011.01.16 Sun


「許さない!あんたのこと、もう信用しないからね!」

と、ある女の人がもう一人の女の人にかなりキレてる様子でした。

でも、相手に「信用しない!」って言うってことは、本当は相手を信じていたいんだろうな、と思いました。


てゆーか、本屋でする会話じゃないですよ。
外でやれ!!

ご丁寧にありがとうございます - 2011.01.15 Sat

お久しぶりです。相変わらずどうでも良いことに興味が向いてしまうのですが。
今日はアルバイト先に酔っ払いカップルが来ました。かなり酔っててまだ他のお客さんが居るのにまだですか?連発。マッサージが始まると先輩が担当した男性の方がウンウン唸りだしました。マズイ!このお客様はお吐きになられる御様子である。

大丈夫ですか? 担当の先輩が聞きます。

ん~腰をもっと強くお願いします。

イヤイヤ、マズイマズイ。

ん~腰が痛いです。お客さんが嘆きます。

渋々腰を揉む先輩。

苦しむ男性。

大丈夫ですか?また先輩が聞きます。

ここはどこですか?

お客様は記憶喪失になられました。

お手洗いに行きますか?

ご丁寧にありがとうございます。

人間感謝の気持ちは忘れてはいけないのですね。 自分が何よりもガク然としたのは、このやりとりの間、自分が担当したカップルの彼女の方がずっと寝てたことです。

マッサージをすると血行が良くなりアルコールが回りやすくなるので、酔っ払ってマッサージ受ける時は気をつけてください。

5日の読売夕刊!! - 2011.01.12 Wed


新聞に載りました!!
しかも記事も写真も結構でかい!!

事件でもこんなに大きく載りませんよ。
すごいすごーいヽ(*^∨^*)ノ





知らせるのが遅いって?


すみません

寒いです。 - 2011.01.11 Tue

おはようございます。 河田です。お久しぶりです。

只今の時刻6時46分です。バイト帰りです。

昨日は成人式だからか、ガストはお客さんがほとんどいませんでした。まぁ成人式にガストにゃぁ来ないでしょう。お昼は多かったらしいんですけどね。ま、それは置いといて。

バイトが終わる時間帯。ボクは「ナチュラルハイ」になっています。つまり一種の興奮状態に陥っているわけです。

だから帰る自転車で、「どんな自転車の乗り方が面白いか?」とか「どんな顔で自転車に乗っていたら面白いか?」などくだらない事を試しながら帰ります。

そう試しています。誰も見ていないのに。ヤバいですね。早くバイト辞めないとねー。

そんなこんなでもう6時57分。不規則な生活を徐々に元に戻さないといけませんからもう寝ます。

おやすみなさいー。

共視 - 2011.01.07 Fri

北山修は、大学を定年で退官してから、アカデミックシアターというのを始めたらしい。年末のテレビ東京でその模様をやっていた。
アカデミックシアター。学術劇場なんて言っても、ま、要するに講演会なんですけど。歌なんかも歌うのかな?
北山修のこと知らないひとのために。
学生の頃、フォーク・クルセダーズというグルーブで、故・加藤和彦、はしだのりおと歌を歌ってた。卒業・解散記念に作った「帰って来たヨッパライ」が大ヒット。それで1年くらいプロ活動してグルーブは解散。加藤とはしだは、それぞれ別のバンドを作って音楽活動を続けたが、北山は大学に戻って精神医学の先生になった、と。
それはともかく。
北山は、浮世絵を素材に、日本人の深層心理を研究をしているらしい。とりわけ母子関係を。
浮世絵には、とにかく母子を、母子だけを描いたものが多いのだという。父の不在は昨日今日の話ではないのだ。
そして、母子はほとんど、同じ目の高さで同じ方向、同じものを見ているのも、西洋絵画には見られない特徴らしい。
おまけに、浮世絵だから当然と言えば当然なんだけど、子供のほとんどは男の子で、まあふたりは淫らな空気に包まれてるわけですね。
それはそれとして。彼が導いた結論は、共視、すなわち共に見ることが、人間にはどれだけ大切か、ということで、家族親戚一同で花火見物を楽しむさまを描いた絵を引いて、ここにいるひとたちは、花火を楽しんでいるというより、同じ空間で、同じように、同じものを見ている、そのことが喜びなのだと説く。
なるほど。わたしたち演劇に携わる者はこの事実をないがしろにしてはいけない。即ち、観客はただ芝居を観るためだけに、わざわざ劇場に足を運ぶわけではないことを。
因みに、「あの素晴らしい愛をもう一度」は北山作詞加藤作曲。若いときは、ケッ軟弱ヤローどもがと、わたしこのひとたちを馬鹿にしてましたが、やっぱり名曲。ということで、12月にやった芝居で使っちゃいました。

勉強、勉強。 - 2011.01.06 Thu

アラ、二日前に書いた原稿がない。せっかく映画「ジャックの刺青」と大和屋脚本の凄みと楽しさを書いたのに。保存しなかったのか

「坂本龍一 音楽の学校」を見る。教育テレビで。バッハ篇、ジャズ篇、ロック篇、それぞれ30分×4回。各回、半分は坂本と研究者もしくはミュージシャンとの対談(鼎談)、残り半分が小中高校生相手のワークショップという構成。
わたしは音楽に関してはほとんど無知なので、とても勉強になった。バッハの音楽は当時のダンスミュージックだったこと。ジャズのモダンからフリージャズに至った筋道、坂本らYMOの実験性等々。
音楽は楽器という、自らのスキルの程度を推し量る計器があるから、自己過信を許さない。だからだろう、坂本なども先人の仕事にとても敬意を持っている。
また、子供たちとのセッションも、耳を疑うほどの素晴らしさ。数十人の子供=素人とプロ中のプロが一緒に、フリージャズやってたフリージャズだから、もちろん即興。凄い凄い。芝居でもあんな風に出来たらな、と。必要なのはスキルと知性と、なにより意欲ですな。

チャンドラーの「大いなる眠り」「リトル・シスター」読了。後者は村上春樹の新訳だが、これがイマイチ。チャンドラーの小説には、クズみたいな人間しか登場しないが、ハルキ訳には、このクズ感、腐臭感、汚濁感がないのだ。前者の双葉十三郎訳は、当然のように古めかしく、おまけに怪しい日本語が頻発するのだが、にもかかわらず(だからこそ?)不思議なグルーブ感があって、ワクワクさせられる。
そうだ、坂本教授もグルーブ感はズレから生まれると言っていた。
表現は、正確ならそれでいい、というわけではないのだ。



茜の空 太陽の下 - 2011.01.04 Tue

あけましておめでとうございます。 河田です。

タイトルに意味は無いです。ただ何となくバイト帰りに見た空がどんよりとまっ黒だったので、
「茜色の空がいいなー」と思っただけです。

時刻は6時33分。ポストを確認しても年賀状さえ無い。朝。寒い。パッチがありがたい。


そうそう。年賀状。今年は書けませんでした。いろいろ忙しかったという言い訳がボクの最大の武器です。

いつもだいたい20枚(少ないかな?)は書いているのですが、今年は0.

来た枚数は4枚。どうなっているボクの友好関係!?


年賀状はさておき(?)今年はいったいどうなるのか…

おみくじでは「半吉」でした。去年は大吉。うへー(>_<)(-_-;)


「幸少なし」とか書くなし!!あとのこり362日間しんどいわ。
「待ち人来ず」とか書くなし!あとのこり362日間しんどいわ。
「自我は捨てよ」とか!助けてー!!!

…とまぁ6時42分の気分で書いておりましたが、そろそろ寝ます。

皆さんはどんな1年を過ごすのでしょう。

このブログを読んでくれた人に幸多からんことを祈ります。


ちなみにyahoo!オークションでの売り上げ総額は、現在52,276円です!

わーい(●^o^●)

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